2019年6月26日水曜日

人が好き。

今帰国してる間、手動車椅子だけを使っている。
だから、誰か一緒に移動してくれる人がいないと、私は自力で外に出れない。
一人の時は、強制的にお家に引きこもり。

今日はたまたまいろんな人とのタイミングが合わず、日中一人で過ごしてるのだけど、たまにはそんな日があってもいいと思ってる。こうしてブログも書けるし、いろいろやらなきゃいけない作業や、読みたいものもあるから。でも、どこかで不安を覚える。高いものを取りたくなっても手が届かないとか、もっと深刻な、地震が起きたらどうしようとか。

一人では、逃げられる範囲も、限られてるし。とか。いつもそこまで突き詰めて考えて不安になるわけじゃないけど、日本で一人になるときは、こんなことを考えちゃう。私は単に人が好きで一人になるの好きじゃない、って思ってたけど、こういう時になると、私にとって人と一緒にいるということは、まさに生きることそのものなんだと思う。

だから、人と一緒にいて疲れる疲れないよりも、人といる方が大事。
母はプライバシーが人を一人にさせるって言って、プライバシーが嫌いだった。それは過激だって、私の父や、他にも周りの人がプライバシーを欲しがったけど、今は母の気持ちもわかる。プライバシーだからって、一人になったとき、何かの危機が起きて、死んじゃったらどうしようって。そんなに極端に考えないでも、、考えすぎだよって思うかもしれないし、実際考えすぎな部分もあるし、そうであってほしいとも思うけど、そう感じるのが、歩けない足を持つ私たちの現実なのだ。

もちろん、歩けなくてもプライバシーが大切で、一人になりたいって人もたくさんいるから、私たち、というのは、歩けない人達じゃなく、母と私、という意味だけど。

私にとって、一人になるっていうのは差し迫った危機を感じることで、大げさに言えば、一人の瞬間は死が近い瞬間って感じがするんだなあと思った。でも、別に助けてくれるかはわからないけれど、空港や関わったことのない他人がいる場所で一人でいるのは平気。要は、声をかけられる人が周りにいて欲しいってことだね。

この時間、あの子と一緒にすごせたのにな!なんて思っちゃいながらも
ここからまたしばらく怒涛のような日々なので。
少し、休息いたします。休息できる時間、ありがとう。

2019年6月7日金曜日

旅してる、呼吸してる。

母さんと、電車で旅してる。
オタワからモントリオール、
きれいな景色。
過ぎるのが速いから、撮った一コマはこんな感じ。手まで入ってる。


最近、こんな感じがする。
なにをしても、ありのまま。
そのまま映って、
そのままして、
そのまま返ってくる。

言葉が苦手だと気づいたこの冬。
苦しいこともあるけど
きっと贈り物で、レッスンがある。
それしか言えないときがある
それだけ言うのがいいときもある。

言えないなら、と黙ってたときより、
生きていて、あったかいものがある気がする。
愛はここにしかないかもしれない。

春になって、庭のチューリップが咲くのを見たとき。茎も、花も、へし折られちゃいそうな、弱そうなものに見えた。

でもそれは、雪の下でもずっと、花を咲かせるまで、ずっと待っていたもので。本当にきれいな花を咲かせて。それだけだけど、それでいいんだね、すごく。

生かされてるから、生きたいね。
汚さないで、一緒に育ちたいよね。
空も海も越えて、
たくさん愛を感じてるよ。
そして、たくさん愛を送ってるよ。



菜々恵