2019年4月25日木曜日

春が来て、学校も終わった。

もうだいぶ春らしい天気になった。
雪はすっかり溶けて、
鳥はもっと鳴いてるし、
たくさんの木につぼみがでてきた。
虫もでてきたね、色んなやつ。



これは遠いけど、何のつぼみかわからないけど撮ったやつ。
あったかい日には外で読書できるようなお天気だよー。

学校が先週で終わったよ。
最後の2週間くらい、ほんとに忙しかった。
わたしも、クラスメートも、よく頑張ったなぁ。
実習は最後までほんとに素敵なところだった。

とってもいいメンターの先生が付いてくれた。
失敗すること、段階を踏んで成長することが、当たり前の環境だったから、
大人も子どもも、とても居やすくて、成長するのにいい環境だった。
モンテッソーリを軸にした学校、いい縁があったと思う。
今思えば高校を出てバイトしてたところも、モンテッソーリの考えを入れてた。

クラスメートとは、グループプロジェクトをやるから
しょっちゅう集まってたんだけど
みんなの話を聞くたびに、またこれも縁のあるグループだってわかって。

メンバーは、わたし含めて、みんな保育士としての情熱がすごくある。
あと、みんな子どもの頃、とくに家庭内でなにか辛い思いをしてた。
家庭内での空気感がかなり緊張していたら、子どもも緊張するし、自分を責めたりする。
とか、みんなトラウマ並みの思いを抱えてて。

うみちゃんの「痛い」のはなし。
痛い、は生きて「いたい」だねって。
それと重なる。

みんなよく生きてきたなと思うの。
自分だけじゃないんだって、あらためて知る。
それでも「もっと子どもたちにいい環境を」
って、前を向いてるのが、きっと希望だね。

わたしも、みんなも、
まっすぐ前に、ずっと力強く来た訳じゃなくて、
立ち止まったり、弱いところもある。
けど、仲間がいるって、ほんとに強いね。

心の傷は、体の傷とちがって、
何度もかえってきたり、癒えるのが難しい、
うみちゃんが言ってたこと。
ほんとだね。
きっとみんなこれからも付き合っていくんだ。

傷が何度も思い返せるように、
いい思い出達も、希望をもったことも、楽しみなことも
鮮やかに思い出せるね、そういえば。

実習で見た環境、出会った先生たち、クラスメート、
教育の可能性とワクワクは
わたしがこれから思い出す、心の栄養だと思う。

わたしは、前を向いたと思えば、またピタッと止まったり。
進んでるけど、たまに迷子になりそうになるよ。
仲間のこととか、そういう栄養のこと、思い出したら大丈夫じゃないかな。





これは、わたしが追加で取ってた "Eco-Mentorship Certificate"コースの、最後の宿題。
子どもたちと自然のなかでどんな遊びやプロジェクトができるのか、学ぶコースだった。
これからの実践に、自然を"編み込む"ことを誓うためのやつ。

作るの楽しかった!仕上がりもいいね。
自然のなかで子どもたちと色々できる、と思うと、これからが楽しみ :)


菜々恵

2019年4月15日月曜日

痛める体と痛める心


実は、クライストチャーチの銃撃テロの次の日の夜、友達がしてくれたマッサージで
少しだけ肋骨にヒビが入った。

でも、ヒビだと思わずに、揉み返しで筋肉が痛いんだと思ったから、
次の日はビーチに行ったり、ピクニックしたり、母と電くる(電動車椅子)に二人乗りしてモスクへ行ったりした。

そしたら、夜中激痛で息ができなくて、目が覚めて、筋肉ではなく骨折だと気付いた。

骨が弱い体質だから、今まで15回くらい骨折したことあるけれど、いつもは左足の大腿骨で、肋骨は折ったことがなかったし、骨折自体11年ぶりで、ニュージーランドでも初めての骨折だった。


あまりの痛みに、息をするのがせいぜいで、柔らかいベット上だと余計に骨が安定しなくて痛いから、床に寝れるよう母がヨガマットと布団を重ねてひいてくれて、ゆっくり移動した。

床に降りたら、ほんとにちゃんと骨が固定されたこともあって、やっと痛さとともに涙が出てきた。

痛すぎるから、「痛い」以外の言葉をあまり発せれない中、「痛い痛い」と言っていたら、母が横で、「痛い」は「生きて【いたい】」だね、と言った。

クライストチャーチで亡くなった人たちの痛みと、生き残って、入院している人たち、
そして家族やその周りの人たちの痛みを思って、さらに泣けた。

痛める体を通して、今深い痛みと悲しみの中にいる人たちとつながれる気がして、
このタイミングで骨折したこと、自分が骨折しやすい体であることが、私は嬉しかった。

嬉しいなんて、不謹慎って思われるかなとか、少し思うけれど、生きていてしか感じれない痛みが、嬉しかったのだ。

体が、強烈に生きていると言っていた。

骨折の痛みは、慣れているから、痛いとしか言えず、涙がとまらなくても、この痛みは去っていくと、ちゃんと頭の中ではわかっている。




それに比べて、心の痛みは、寄せては返す波のように、目に見えて、体で感じて、癒えることが難しい。


骨折している間に大変だったのは、同居人たちと母の関係だった。

家族に介助してもらいたくないと思う人がいるように、私も同居人たちにあまり頼りたくなかった。

ラッキーなことに、私が骨折していなくても、私が授業に行っている間など母と一緒にいてくれるよう、毎日別な友達が家まで来てくれるように計画を立てていたので、日中の間は、ほぼ誰かの助けがあった。

けれど、朝一とか、たまにある日中の人がいない隙間や寝る前など、同居人たちに頼まなければいけないこともいろいろあった。

特に、寝たきりだったから、トイレにも自分で行けなかったので、おしっこをトイレまで運んで流してもらわなければいけなかった。

骨折したと伝えた直後は、すごくいろいろ心配してくれた同居人たちは、忙しかったり、「お願い」するのではなく、「指示」するように頼む母の言い方も重なり、自分のペースじゃないスピードで頼まれることが負担となって「頼まれたくない」っていう雰囲気を醸し出すようになっていった。

頼まれたくなさそうにしているのをみると、障がいを持った「自分」を否定されているように感じる母がいた。

母からは同居人への愚痴、同居人からは母への愚痴を、たくさん聞いた。

正直、私が寝たきりにならなければ、起きなかった状況だけれど、それでも自分が寝たきりであるということを、悪く思わなかったし、新しい修行や、くらいに思えた自分を褒めておこう。笑


母は、小さい頃に施設に住んでいて、そこで、同室だった子たちが、看護師たちがおしっことうんこをする時間を決めて、それ以外は手伝わなかったせいで、

膀胱炎になったり、すごい臭くなったり、たくさんひどい目にあってきたのを見ていて、
おしっことうんこに関して、人が関わろうとしないことへ、怒りが湧いてくるのだ。

同居人たちは、大学が始まったばかりで忙しくなってきて、自分の生活とのバランスを頑張ってとろうとしているのと、それぞれの母親から指示されているような気分になって、
辛くなってしまったのだ。

どっちの気持ちもわかる私は、ただ黙って聞くことに徹した。それしかできない。


でも、たくさん同居人の話を聞いた後、障がいを持って生きるということ、生きる基本のそんなことも、人の手が必要だということ

それが、私の人生なのって、「Welcome to my life」って伝えたら、泣けてきちゃった。

そして、その後、母にも、同居人のことを大切にしたいから、ちゃんと時間を決めてお願いをすることと、言い方を優しくしてほしいということを伝えて、また泣けた。



いろんな状況の渦中にいると、よく考えられないような感じがするときもあるけれど、
今回はなかなかベストを尽くせたと思う。骨折して動けない状況だったのにもかかわらず。

おかげで、両方ともの関係性が難しい感じがしちゃって、心折れそうな気分になった瞬間もあったけど、今はまた両方ともと仲良し。


骨折してから、ちょうど明日で一ヶ月が経とうとしている。
痛みはもうなくなったけれど、前より体の使い方を気をつけるようになった。

私が自分で体の使い方を気をつけようとすることによって、同居人や友達たちも、前より手を貸してくれるようになってきた。
一人頼ることは、悪いことじゃない。
「全部自分でやってこそ自立である」って、そんなメッセージがどこからか、私の中にも埋め込まれていて、自分でやったほうがいいんだって、肩に力が入っていたのを実感する機会でもあった。

動けるようになって、また自分でやっちゃいたくなってしまっている自分を感じる。
でも前よりそれがはっきりわかるようになったから、もっともっと、人に手を借りていこう、と思う。

一歩、一歩ね。



お友達がお見舞いに持ってきてくれたお花を、ドライフラワーにしてみてる。

宇宙

2019年4月6日土曜日

水平線の向こう

水平線の向こう、
わたしが行ったことがなくて、
行くことが想像できないような
何歩も先にいる人たちと、
いま実習で一緒に働けてるよ。

もうひとつの意味で
水平線の向こう、
今まで自分がやれると思ってたよりも
頑張れるようになったり。
それは気持ちとイメージ次第で変わるみたいだね。

いまいる場所に希望もあれば、矛盾もある。
それでも先に進みたいっていう気持ちが、
やっと自分のなかで居場所を見つけて、育ってきてる気がする。
イメージが変わっていってる。

昔からのクセはなかなか変えられなかったり
傷を思い出すこともあるけど
思い出すたびに共感していたい。
そうじゃないと、わたしは人に優しくなりきれない。

どうしてそれでも頑張るんだとかも
いろいろ思ったけど、
人自体が、健康な状態だと
ほんとうに優しくて、面白い生きものだからじゃないかと思う。
くせになるっていうか。

実習で毎朝教室に入るなり「一緒にまたストーリーのやつやろう」と言ってくる女の子がいる。

わたしが本を読み聞かせて、その子はその情報を入れた文章を作り、その綴り、書き方を一緒に考えていくやつ。

毎日、ゆっくりだけど確実にうまくなってるし、やる気も、集中力も増してる。

ほんとうに確信してるのは、
しっかり時間と手間をかけて、
その子にあった方法と空間で、
年齢にあったすき間(遊び!)もちゃんとしたら、
ぜったいに子どもはすくすく育つこと。

みんなうまくなりたい、
いい時間をすごしたい。

それを支える十分な知識と時間が大人に、
そして環境として空間も作れたら。

大人がそれを精一杯したら
子どもはすくすく育って
大人を癒やしてくれるでしょ?

その静かに強い大人たちは、何歩も先にいる
一瞬一瞬をしっかり感じてて、
嬉しかったらしっかり喜んで、笑って、踊って、
間違いにはみんなちゃんとできるでしょ?
て、信頼してるように、しっかり向き合って。

うみちゃんの言葉を借りて、
ひどいことも辛いことも
多い社会のなかで、
かっこいい人を1人でも多く知ってることは、
とっても心強いことだと思ったよ。
出会いに感謝してる。



菜々恵