2020年5月26日火曜日

世代を超えること

最近森の勉強をして、神社の周りには古い森が残っていることが多いから、近所でいくつか行ってみた。


神社の神聖な空気が大好き。
街の忙しさから一気に遠ざかったような。
歩く人も、車の音も、忙しなく思える街に生きるわたしには、大切な希望。

少し入ると、きっと樹齢300年以上はあるようなクスの木が、何本も、大きな緑の傘を広げてた。

世代を超えたものの強さは、なんだか、圧巻だった。

ふと思った、今変えたいと思うことがたくさんある。

けど、わたしの世代だけでできるのか、と思わなくても、
次の世代の力を借りるつもりでいいのかも。

わたしたちが今できることは、全体には、実は小さく見えるのかも。
でもそれで十分だよね。
大きな幹と、緑の葉っぱをいっぱいに広げた木を見上げて、そう思えた。

昔はお百姓さんだったのが(あまり詳しく暮らしを知らないけど)、戦争も経験して、戦後子どもたちにご飯を食べさせたいと頑張って、頑張って、頑張りすぎたから、あと、人が自然環境に与える影響を知らないままに、こんな物質主義に走ってしまったと、勝手に推測してみる。

わたしたちの世代で、何ができるだろう。
もっと優しいところにしたいね。
こういう思いも共有できる仲間がいて、本当によかった!♡

ななえ

2020年5月19日火曜日

予備力

大きな流れの中で、日々たくさんのことが起きている。
身近な大切な人たちも、ニュースでも、難しいことや辛い状況がある。

だけど、私の目の前の日常は、いたって穏やか。
その二つの現実の乖離に、頭が痛くなる。

大切な人たちが傷んている時、一緒になって痛くなりたくなる。
私も一緒に苦しみたい、って。でも、私が苦しんだところで、結局状況は変わらないんだ。

できることは、手を離さないこと。一緒に苦しみたくなってしまう自分の気持ちに消耗しないこと。


年を重ねるっていうのは不思議で、きっと「年」じゃなくて
出会ってきた人たちや、通り過ぎた経験なのだろうけれど
今月24歳になって、前にも増して、自分が自分であることが心地よくなったなぁと思う。


COVID-19の状況で、ニュージーランドも全部で7週間ほどロックダウンをしていて
お散歩以外、ずーーーーっっっとお家の中にいたから
いつもより、丁寧にゆっくり日々を過ごすことができた。


自宅勤務はあったから、私の日常のパターンは、あまり変わらないところもあったのだけれど、それでも、最近全くしていなかったウクレレを弾いてみたり、絵を描いてみたり。

周りの目を気にしないで、好きに過ごすっていうのは、とっても心地よいことだなぁって
改めて感じた。きっとその時間もあったから、自分でいるのを心地よく余計に感じたのだろうな。


苦しみも喜びも楽しさも悲しさも、全てまとめて味わえるのは生きているから。
年を重ねれば、今まで感じたことない感情や、自分の知らなかった部分にも出会える。
それって、とってもわくわくする。

こうして、無事、また年を重ねられたことに、感謝しかない。

十代の終わりから二年前くらいまで、結構いつも全力で、自分でも疲れを知らないかのようだった。だけど、この二年くらいそのツケがきたのか、自分でも自分の中の余裕が減ってしまったような気がしていて。

でも、前よりちょっと余裕を取り戻せたようにも思うし、
無理をしないようにも、なってきたと思う。

大切な友達が、「予備力」っていう言葉を教えてくれた。
いつでも、100%の力を出していなくても、今40%しか出していない分、
今80%の力を出せている人が、40%の力しか出せなくなった時、80%の力を出せるかもしれない。
そうやって、巡っていくものだから、いつでも100%じゃなくて大丈夫なんだって。

それから、この言葉がなんとなく心にずっと残っている。
思い出すと、そうだそうだって、安心する。

たくさん情報も物もいろんな物があふれていて、あれもこれもって努力しているのがいいんだってされるけれど、私にとって本当に大切なことって少ない。
小さな意味と大きな意味、両方込めて、命を大切にすること。

それは、日常のなかの選択にも、周りの人との過ごす時間にも、つながること。

人が変化をするのは常だけれど、この思いも変化しながらも、大切にしていきたいなぁ。