大きな流れの中で、日々たくさんのことが起きている。
身近な大切な人たちも、ニュースでも、難しいことや辛い状況がある。
だけど、私の目の前の日常は、いたって穏やか。
その二つの現実の乖離に、頭が痛くなる。
大切な人たちが傷んている時、一緒になって痛くなりたくなる。
私も一緒に苦しみたい、って。でも、私が苦しんだところで、結局状況は変わらないんだ。
できることは、手を離さないこと。一緒に苦しみたくなってしまう自分の気持ちに消耗しないこと。
年を重ねるっていうのは不思議で、きっと「年」じゃなくて
出会ってきた人たちや、通り過ぎた経験なのだろうけれど
今月24歳になって、前にも増して、自分が自分であることが心地よくなったなぁと思う。
COVID-19の状況で、ニュージーランドも全部で7週間ほどロックダウンをしていて
お散歩以外、ずーーーーっっっとお家の中にいたから
いつもより、丁寧にゆっくり日々を過ごすことができた。
自宅勤務はあったから、私の日常のパターンは、あまり変わらないところもあったのだけれど、それでも、最近全くしていなかったウクレレを弾いてみたり、絵を描いてみたり。
周りの目を気にしないで、好きに過ごすっていうのは、とっても心地よいことだなぁって
改めて感じた。きっとその時間もあったから、自分でいるのを心地よく余計に感じたのだろうな。
苦しみも喜びも楽しさも悲しさも、全てまとめて味わえるのは生きているから。
年を重ねれば、今まで感じたことない感情や、自分の知らなかった部分にも出会える。
それって、とってもわくわくする。
こうして、無事、また年を重ねられたことに、感謝しかない。
十代の終わりから二年前くらいまで、結構いつも全力で、自分でも疲れを知らないかのようだった。だけど、この二年くらいそのツケがきたのか、自分でも自分の中の余裕が減ってしまったような気がしていて。
でも、前よりちょっと余裕を取り戻せたようにも思うし、
無理をしないようにも、なってきたと思う。
大切な友達が、「予備力」っていう言葉を教えてくれた。
いつでも、100%の力を出していなくても、今40%しか出していない分、
今80%の力を出せている人が、40%の力しか出せなくなった時、80%の力を出せるかもしれない。
そうやって、巡っていくものだから、いつでも100%じゃなくて大丈夫なんだって。
それから、この言葉がなんとなく心にずっと残っている。
思い出すと、そうだそうだって、安心する。
たくさん情報も物もいろんな物があふれていて、あれもこれもって努力しているのがいいんだってされるけれど、私にとって本当に大切なことって少ない。
小さな意味と大きな意味、両方込めて、命を大切にすること。
それは、日常のなかの選択にも、周りの人との過ごす時間にも、つながること。
人が変化をするのは常だけれど、この思いも変化しながらも、大切にしていきたいなぁ。
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