2019年11月19日火曜日

午前二時の思考回路。

この一週間、留学生のユニオンの同僚のお家にお世話になってる。

午前二時近くなっても勉強してる同僚を横目に、
空気で膨らませたキングサイズの上でごろごろしながら、久しぶりにここで言葉を綴ってみることにした。

ななえの大切にしたいことを読んだら、ななえの柔らかくてあったかいリズムを感じられる気がして、
ほっとした。

私は小さい時からとっても楽観的なところと、ちょっとトゲトゲしたところがある。
トゲトゲしたところは、うーほちゃん(母)の前から、特定の人たちの前以外、滅多に出てこない。

家族から離れて住むようになってから、トゲトゲした部分が出てくることはだいぶ減った。
そして、最近は大学の忙しさの中で、楽観的な部分まで、出てきにくくなっちゃった。

一ヶ月前に大学の課程が終わり、終わった四日後から旅に出た。

たくさんの冒険にあふれた旅をしてきたから、それについてもいつかちゃんと言葉にしたいなと思う。
けど、今回はその旅の中でもずっと考えてる

「楽観的な性格、ものの見方」

について、綴ってみようと思う。

楽観的な部分が減ったのは、大学の忙しさのせいだと思っていたけど
楽観的な性格が、周りの人をむしろ傷つけてるんじゃないかって
無意識に怖くなって、隠すようになったのかもって、最近思った。

いや、前々から少し気づいてた。

こんな辛いことがたくさんある世の中で、楽観的な考えを持てるなんて、
現実見えてなくて、傲慢(英語のignorantっていう言葉の方がしっくりくる)な気がしたり
気づかいの足らないポジティブさが、むしろ周りの人を追い詰めてるかもって思ったりして

楽観的であることを、肯定できなくなってきてた。

けど、大変な状況を目の前にした時に、私はどうしても
「どうにかなる!」

って思う。

そして、自分のその思考によってたくさんの経験ができてきたのだと思う。

って思ったけど、私の経験は、私の楽観主義的態度によって得られてきたものではなく
経済的条件や環境的条件によって得られてきたもので
私の性格でここまできたの!っていうことこそ、それは傲慢やなーって思う。

楽観的なのはいいけど、
それによって得てきた経験を、
それは自分の功績、みたいに、他の環境的要因を視野に入れないで語ることが嫌で
楽観的であることすら、怖くなってたのかも。


めっちゃ、自分中でピンときてるんだけど、私の自己分析というか思考回路が
どれだけ他の人に通じるかって、さっぱりわからない。


それも、不思議。
お互いがお互いを理解してるかって、完全に証明する方法だって、ない。

それでも、私たちはお互いを理解したいし、されたくて、言葉や表現を重ね続けるのだね



楽観的であることが、怖くなっていたけれど、ちゃんとなんで楽観的でいられるかっていう
私としての理由を知っていれば、ポジティブさを隠さなくてもいいのかも。

うーん。


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