日本にいたらあまり耳にしないけれど、ニュージーランドにいたら、ほぼ毎日一回くらいは耳にする「Climate Emergency」ということば。今は、気候の危機状態にあるよってこと。いろいろ考えるけれど、まとまってない思いを書き出してみることにした。
私が初めて環境問題を意識したのは、たぶん9歳くらいの時。
アル・ゴアが監督で作った不都合な真実という映画の本を、誰かがくれたんだ。
同じ頃に、てんつくマンをはじめとした人たちが、世界中で同時にキャンドルナイトをして、電気を節約しようみたいなイベントをしようとしている頃で、
電気を使うことが、環境を破壊していることなんだっていうことを、初めて知った。
白くまさんや、たくさんの動物たちが絶滅の危機に瀕していることを知った。
そして、今になっては毎週平均約128種もの生き物たちが、世界中で絶滅して行っているそう。あまりの数の多さに、それがどういうことか、想像力をもったら、心が保たない。
一つの命が死んでしまうことも悲しいのに、
種全体が絶滅してしまうって、もう、その種の生命と出会えることはないってこと。
この世界から、犬や猫が消えてしまうって言ったら、多くの人は悲しむだろう。
でも、出会ったことない種に対して、同じだけの悲しみを覚えることはできない。
そして、同じだけの悲しみを、毎週128回も感じるなんて、きっとそんな許容量ない。
ないとわかっていても、その悲しみを感じることから、わかること、変えていけることがあるとも思う。
ニュージーランドの上の方にあるそう遠くない島々もどんどん水面が上がっていくのと同時に、島の面積が狭くなってきている。
今はロシアですごい火事が起きている。
日本だって去年から異常な大雨とか、変な天気が多い。
ニュージーランドも今まで竜巻なんて来なかったのに、つい先週北島の方ですごい竜巻があったみたい。
こういう状態をみて、緊急事態だって感じるのは当然のこと。
でも、この緊急事態はどう始まったのだろう。
今の社会のあり方では、環境が保たないっていうのは、私が生まれるずっとずっとずーっと前、50年前くらいからも言われ始めていたこと。
でも、現代社会の「便利」さと、お金をたくさん儲けられる一部の人たちの「利益」のため、この社会のシステムは変わらないまま、やばいかもってわかっていても、
方向性を変えないで進んできた。
でも、人間が自然と共存する生活スタイルから離れて、生きるようになったのは、
世界のどこかによってそれぞれ時間の長さが違うけれど、地球規模の時間軸で考えると本当につい最近のこと。
だから、「今のままじゃいけない」なんていうことは、一つもないのだと私は思う。
気候変動っていうと、まるで自然環境が問題かのように聞こえるけれど、
私にとって気候の危機は、人間が自分・周りの人・そして自然を大切にできなくなった結果。
歴史を振り返って、完璧な時代なんてないし、世界を見渡しても、完璧な文化なんてないけど、ここまでグローバル化されて、人と人とつながりやすくなっているのに、人と人とのつながりが薄く、不平等さが激しい時代は初めてだと思う。
先進国と言われる国に住んでいる人たちの生活水準が保たれるためには、発展途上国といわれる国に住む人たちが、ひどい労働環境の中で働き、自然環境も搾取されなきゃ成り立たない。
それは、片方の人種の方が恵まれていて当たり前という勝手な考えと
人間社会の中には、階級があって、お金持ちはお金持ちであり続けて、貧乏人は貧乏であるのはその個人の責任っていう、勝手な考えと、そのほかにもたくさんの勝手な考えが合わさって、成り立っているシステムだと、私は思う。
だから、環境を守るために、何ができるか考え行動するのと同じくらいに、
私たちが、同じ人間として、世界中の人たちとどうやって共に、対等に生きていける勝手考え行動するのも大切だと思う。
あまりに、いろいろ深刻に思える問題がたくさんあるし、
私が9歳の頃よりも、気候変動の状況も危機が迫っている感じがする。
最近生まれたばかりの子供たちが、綺麗な景色を見られないなんて未来になるのは、絶対にいやだ。
でも、できることはたくさん。
動物製品を食生活から減らすこととか、とにかく全体にいろんなものの消費量を少なくすることとか、その代わりに大切な人と過ごす時間を増やしてみるとか、いろんな本を読んでみたり、世界の人と繋がってみたり。
とにかく、絶望に向き合いつつ、希望は捨てないこと🌱
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